• 2023年5月15日
  • 2024年5月10日

ハリセンボンはるか入院中「看護師さんの雑談に救われた」患者から見た医療従事者の“名もなき仕事”

 

ハリセンボン・箕輪はるかさん:「おそらく、看護師さんにとっては業務の中では評価を受けにくい部分なのかもしれませんが、患者が不安を感じている時に励ましてくれたり、塞ぎ込んでいる時に雑談で和ませてくれたりといったことが、病院では日常的に行われています。おかげで私は2カ月間、心置きなく治療と養生に専念することができました」

2023年で結成20周年を迎えたお笑いコンビ、ハリセンボン。しかし、ここまでのキャリアは必ずしも順風満帆なものではなく、ブレーク直後の2009年には箕輪はるかさんが肺結核を患い、長期離脱を余儀なくされました。

5月は看護週間ということで、2カ月に及ぶ入院生活と患者の視点を通して体感した、看護師という仕事の本質と感謝の想いを聞きました。

ハリセンボン・箕輪はるかさん。

突然下された「肺結核」の診断

コホコホと咳が出るようになったのは、順調にお仕事が増え、休みもあまり取れなくなっていた2009年のことでした。

咳といっても、風邪のあとに残る空咳のようなもので、それ以外はとくに体調に変化もなかったことから、最初はわりと楽観視していたんです。

「からだが弱そうだと思われがちですが、それまでは結構丈夫だったんです」と当時を振り返るはるかさん。

ところが、半年ほど経っても一向に咳が引かず、やがて咳そのものが重くなっていき、ついには咳のしすぎで肋骨まで痛み始めて……。さすがにちゃんと診察を受けようと病院へ行ったら、「結核の疑いがあります」と言われました。

のちに結核が確定。即座に2カ月の入院が決まり、私は隔離されることになりました。

共演者にも観覧者にも検査を要請

結核というのは、結核菌という細菌によって発症する病気です。空気感染する厄介な感染症ではありますが、現代ではたいてい、菌をもらったとしても自己免疫で処理できるものなのだそうです。

しかし私の場合、たまたま疲労が溜まっていたり、栄養が不足していたりして、免疫力が低下していたタイミングでこの菌が増殖し、発症してしまいました。

たしかにこの時期、休みは月に1度あればいいほうで、もともとが夜型なので睡眠も足りていませんでした。それでも咳が出た時にすぐ病院へ行けばよかったのかもしれませんが、せっかくの貴重な休みを診察で潰してしまうのがもったいなくて、放置してしまいました。何事も早期発見、早期治療が大切なのだと、あとから思い知らされましたね。

結核と確定してからは周囲への対応を会社にしてもらいましたが、大変だったと思います。すぐにマネージャーに連絡して事情を伝え、相方の春菜(近藤春菜)をはじめ、直近の仕事でご一緒したすべての皆さんに検査を受けてもらうことになりました。

また、共演者だけでなく、舞台を観覧に来られていたお客さんにも検査を受けてもらうよう、会社から大々的に告知してもらいました。大事になってしまって、一体どうすればいいんだろうと、この時期は本当に不安でした。春菜にも一人でこなさなきゃいけないプレッシャーを与えていたと思います。

「入院が決まった時は、『やっと休める』と瞬間的に思いましたが、それからすぐに事態の深刻さに気がつきました」(はるかさん)

何より、芸人として大切な時期なのに、すべての仕事に穴を開けてしまったことも心の負担になりました。レギュラーだけでも5~6本抱えていましたし、ちょうど新番組が始まるタイミングでもありました。

先生から伝えられた入院期間は2カ月。退院してもすぐにテレビに出られるとは限りませんし、入れ替わりの激しい業界だけに、治った時にはもう私のことなんて誰も覚えていないかもしれないと、ただただ頭を抱えることしかできませんでした。

隔離された個室で過ごした2カ月の入院生活

私は隔離患者だったので、もちろん病室は個室です。治療は基本的に投薬で、毎日15錠くらいの薬を飲まなければなりませんでしたが、症状はみるみる収まっていったので、体はすぐに楽になりました。

しかし、24時間ずっと同じ部屋で過ごさなければならないのは、やはり苦痛です。親やマネージャー、相方など、ごく限られた身近な人だけは面会が許されていましたが、頻繁に会えるわけではありません。こうなると、食事と睡眠以外の時間をどう潰すかが大きな問題でした。

本を読んだり、DVDを観たり、日記をつけたり、けん玉の新しい技を練習したり……。1人で時間を潰すのは得意なほうではありましたが、それでもふとした時に心細くなって。

入院当初、日記に「くじけずに頑張ろう」「時間はたっぷりあるからネタをつくるぞ」って意気込みを書いていたんですけど、結局ひとつもネタは作れませんでした。精神的に余裕がないと、お笑いを考えようという気持ちになれなくて。何をするにしても健康があってこそなんだなって痛感しました。

そうした日々の中での一番の楽しみは、看護師さんとのおしゃべりでした。

「看護師さんにお願いされてけん玉を披露したら、まるで初めて歩いた赤ちゃんを見るようなリアクションで喜んでくれました」と嬉しそうに話すはるかさん。

看護師さんは血圧を測りに来た時や、食事を運んできてくれたりした時など、必ず何かしら私に声をかけてくれました。

朝、カーテンを開けながら「今日はとても天気がいいですね」と言ってくれたり、あるいはいつも夜更かしな私を心配して「眠れていないようですけど大丈夫?」と気遣ってくれたり。他愛のないやり取りではあるんですけど、当時の私にとってはそれが貴重な社会との接点でした。

今にして思えば、入院しているのは私だけではないですから、看護師さんは凄く忙しかったはず。日に3度の食事の時も、すべての病室をまわらなければならないはずなのに、気忙しさなんて微塵も感じさせずに、「へえ、けん玉やるんですか。すごい、やってみてくださいよ!」と明るく話しかけてくれました。

ともすれば見過ごされがちな普通の会話なのですが、それが入院中の私にとってどれだけ力になっていたことか。看護師さんたちは皆、患者の身になってコミュニケーションを取ってくれていたんだなと、振り返れば感謝しかありません。

看護師の知られざる苦労に触れて

入院中、私が病室の外へ出られるのは唯一、検査を受ける時でした。同じ病院の敷地内ではあるものの、そこはやはり私にとっては外界で、久々に触れる外の世界を、いつも物珍しくキョロキョロしていたものです。

ある日、検査に向かう途中、看護師さんがおじいさんの車椅子を押しながら、「急に入院することになってびっくりしたでしょう」、「早く元気になりましょうね」と話しかけている光景を見かけました。おじいさんは耳が遠いらしく、「え?」と聞き返すばかりでしたけど、そのなんてことのない会話から看護師さんの優しさが伝わってきて、とても温かい気持ちになりました。

ところが、私が検査を終えて外へ出ると、そのおじいさんがこちらを指しながら「なんで後から来たあいつのほうが先に診察を受けてるんだ」とプリプリ怒っています。

看護師さんは慣れた様子で、「検査の内容によるんですよ」となだめていましたけど、なんだか私のせいで余計な仕事を増やしてしまった気がして、申し訳なくなりました。たぶん、私たちの知らないところでそういう知られざる苦労をたくさんされているのだろうなと、ますます感謝と尊敬の思いを強くしましたね。

穏やかなはるかさんでも、入院生活中はナーバスになって、看護師さんに当たってしまうこともあったそう。

でも、そんな看護師さんたちにとって、おそらく私はあまり良い患者ではなかったように思います。

長い入院生活の中で私もストレスや不安が溜まっていて、食欲が湧かずご飯を残してしまったり、まるで八つ当たりをするように不機嫌な態度をとってしまったりしたことが、しばしばありました。

そんな時でも、いつもと変わらない優しく明るい表情を崩すことなく、根気よく寄り添ってくれました。看護師さん同士で連携してくれて私のことを気遣ってくれていたみたいで、これはもう、一生忘れないですね。

今でもたまに思い出す、退院の日の出来事

こうした2カ月間を経て、私は無事に復帰を果たし、今日に至ります。幸い、この時のブランクがキャリアに大きな影響を及ぼすことはなく、今も大好きな芸人の仕事を思う存分、楽しんでいます。

それまではあまり病院にお世話になる機会がなかった私ですが、入院生活を経験してみて、医療従事者の皆さんの苦労と、その職務の重要性を心の底から実感させられました。

それは病気を治すという、直接的なことだけでありません。看護師さんとの日頃の何気ない会話のひとつひとつが、いかに患者にとって大切なのかを私は身をもって知りました。

今でもたまに思い出すのは、退院の日のことです。いつも淡々と検査をしてくれていたレントゲン技師さんが、「ついに退院ですね。おめでとうございます」とにっこり微笑んでくれたり、お世話になった看護師さんたちが次々にやって来て、「記念に写真を撮りましょう」と言ってくれたり、すべてが温かい思い出です。

ただ、その優しさに甘えてばかりではいけないと思うようになりました。

折しものコロナ禍で、医療従事者の皆さんの過酷な実情が注目されるようになりました。一番大切なのは、私たち一人ひとりが日頃から健康管理に気をつけて、できるだけ看護師さんたちの負担を減らす努力をすることなのだと思います。

そう気付かせてくれた入院生活のおかげで私は、今はちゃんと定期的に休みを確保していますし、夜更かしは相変わらずでも、できるだけ睡眠も取るようにしています。あの時にお世話になった看護師さんたちへの感謝とともに、こうした心掛けをいつまでも忘れずにいたいですね。

取材/友清哲
企画・編集/藤田佳奈美
撮影/小原聡太

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箕輪はるか(みのわ・はるか)
1980年、東京生まれ。吉本興業所属。2003年、近藤春菜とお笑いコンビ「ハリセンボン」を結成。2009年、29歳で肺結核に罹患し、2カ月の隔離入院を経験。趣味はけん玉。

著者プロフィール