看護師は、患者からあらゆる感情を流し込まれます。時には、病気への不安や怒り、やり場のない悲しみといったネガティブな感情が、看護師へのハラスメントに発展することも。その一方で、患者の死に直面したり、医師と患者家族の板挟みになりうまく対応できなかったりしたときには、無力な自分を責めてしまうこともあります。
『感情と看護』(医学書院)の著者である日本赤十字看護大学名誉教授の武井麻子さんは、「あらゆる状況下において看護師は『患者とその家族の気持ちへの共感』と『自身の感情のコントロール』を求められる」と語ります。今回は、元看護師の筆者が、武井さんに看護師を取り巻く「感情労働」の現状と、うまく付き合うための方法を伺いました。
患者には共感、でも巻き込まれてはダメ
――看護の現場では、「看護師は患者の気持ちに“共感”しなければならないが、“感情移入”して患者に巻き込まれてはいけない」と教えられます。矛盾した教えのように感じますが、どう思いますか?
武井さん(以下、敬称略):本来、「共感」や「感情移入」とは、他者との関係の中で無意識に引き起こされるもの。つまり、気づかずに巻き込まれるものなのです。なので、意識的に感情をコントロールすることはできません。ところが、現場では「看護師にとってふさわしい感情(たいていはポジティブな感情)でいなければいけない」という暗黙のルールがあり、「感情をコントロールする=自分の真の感情を押し殺す」こととなってしまうのです。
――自分の真の感情を押し殺して、共感していなくても「共感」する。このような状況が続くと、看護師にどんな影響が出るのでしょうか?
武井:自分の感情を否定することは、自分の存在自体を否定するようなものです。「自分らしさ」を失い、しまいには「生きているという実感」さえも失われていくという表現が近いかもしれません。
――わかります。私も看護師時代、感情を押し殺しているうちにどんどん感情が希薄になって、まるでロボットみたいでした。これが目指していた看護なのか、わからなくなったことがあります。
武井:それはもう、バーンアウト寸前でしたね。以前私が担当していた実習学生は「実習を重ねるうちに、悲しくても泣けなくなってきた」と言っていました。どうしても泣きたくなったとき、わざわざ泣ける映画を観るようにしていたそうです。このように感情の鈍磨が続き、結果として心が折れてしまった看護師は多いと思います。
コロナ禍を闘う看護師を襲った「共感疲労」

2020年1月、国内で初めて新型コロナウイルスの感染者が確認されてから、全国の医療従事者の終わりの見えない闘いが始まりました。武井さんは、当時の看護師が抱いた感情について、こう振り返ります。
武井:当時、看護師が体験したのは、これまで感じたことのないほどの恐怖でした。「自分が死ぬこと以上に怖かったのは、自分が患者さんや自分の家族に感染させ、死なせてしまうのではないか」という恐怖です。ただ、コロナ病棟に異動を命じられても多くの看護師は断らなかったと聞いています。きっと看護師としての強い責任感が、恐怖を感じてはいけない、逃げてはいけないというふうに働いて、その場に留まらせたのでしょう。
――あのとき、多くの看護師が現場に残る決断をしたおかげで、救われた人は多かったと思います。
武井:そうなんですが、看護師は複雑な胸中だったと思います。感染者がみるみる増加し、医療がひっ迫し始めると、彼らが抱いていた恐怖は、怒りへと変わっていきましたから。
――恐怖から怒りの感情に変わってしまったのはなぜでしょうか?
武井:優秀なスタッフを奪われた他病棟からは「コロナ病棟だけ待遇面でいい思いをしている」という羨望や恨みの声が届くようになりました。当時不足していたガウンや使い捨てグローブなどは優先的に支給され、外部からは差し入れが届いたところもあります。ですが、そうした「優遇」の裏に、死の恐怖と闘いながら個人防護具をつけて働く苦しさ、目の前で患者がなすすべなく死んでいく無力感・自責の念など、コロナ病棟看護師の苦しみがあることはあまり注目されませんでした。
――高いリスクを背負ってコロナ病棟で働いているのに、患者を救えず、周囲からは羨望や恨みばかりをぶつけられて、それはやるせない気持ちになりますね。
武井:加えて医療関係者であるというだけで、院外では友人・知人からも避けられ、子どもは保育園に預けられなくなったり、学校ではいじめられたり、さまざまな差別・偏見にさらされたのです。今、そんなことはすっかり忘れられていますが。
――それは看護師が怒りの感情を抱いて当然です。コロナ禍が何年も続くうちに、看護の場に何か変化はあったのでしょうか。
武井:そうですね。第2波、第3波と感染のピークを繰り返すうちに、当初の強烈な恐怖は影を潜めていったように見えます。ただ、いったん危機が去って安心しても、すぐまた次のピークがやって来るというパターンを繰り返すと、人は次第に希望を持てなくなっていき、自らこの苦境から脱出しようとはしなくなります。これは「学習性無力感」といい、うつの要因にもなると言われています。そのため怒りも相互不信に変わってきているようです。
――終わりが見えない闘い……。実際、コロナ禍で退職した看護師も多いと聞いています。
武井:海外では、コロナ禍での看護師の体験を「集団トラウマ」ととらえて、医療システムが崩壊し兼ねない事態だと警告を発しています。コロナで多くの患者や同僚の死を体験しただけでなく、優しい言葉ひとつかけてやれなかったことが、看護師に「共感疲労」を引き起こし、離職の要因となっているのです。
――看護師の離職の要因である「共感疲労」について詳しく教えてください。
武井:共感疲労は、「思いやり疲労」とも訳されますが、トラウマを負った人を救おうとしたり、ケアしたりする援助者が陥る二次的なトラウマ状態です。他者の恐怖や苦しみ、無力感、罪の意識などを援助者自身が同じように体験するのです。それにより、フラッシュバックだけでなく、仕事に対する意欲や気力の低下、疲労感、抑うつ気分などに悩まされてしまうこともよくあります。
――人をケアする職業柄、看護師なら誰しもが共感疲労になりそうですね。
武井:そうですね。共感疲労は、特に真面目で熱心な人ほど陥りやすく、離職だけでなく医療事故や職場の人間関係の悪化の要因にもなるため、今後のためにも業界全体で対策するべき緊急課題だと思っています。
反省や自己否定は、いますぐやめる。感情労働との上手な付き合い方

――感情労働を主体としたいまの看護業界で、看護師が自分の感情を犠牲にせず、健やかに働き続けるにはどうしたらいいのでしょうか?
武井:トラウマを生き延びるには「リジリエンス」を高める必要があります。あらゆるストレスをしなやかにはねのけ、回復していく力です。それには「セルフコンパッション」の考え方が役立つでしょう。
――まずはセルフコンパッションについて教えていただけますか。
武井:セルフコンパッションとは「他者を思いやるように、自分も思いやること」です。もしネガティブな感情を抱いたとしても、その感情を否定するのではなく「これは抱いて当然の感情であり、看護にとって意味のある感情なのだ」と捉え、大事にしましょう。
――セルフコンパッションを実施するための、何か具体的な方法はあるのでしょうか?
武井:仮想の相手に「手紙を書く」という方法がおすすめです。日記でも構いません。何でも好きに書いていいのです。自分を最大限肯定する言葉でも、誰かの悪口でも構いません。吐き出すだけでも心が落ち着いてきますが、書いているうちに自分への新たな気づきにつながり、他者への思いやりが芽生えてくることもあります。後で読み直して、自分で笑ってしまうことも。笑うことは大事です。
――ネガティブな感情を肯定的に捉えて言語化することが大切なんですね。多くの看護師はネガティブな感情を、反省や自己否定につなげてしまっているような気がします。
武井:それはきっと、感情労働によって傷ついた体験が積み重なっているからでしょう。看護師歴が長い人ほど、自己肯定感が低く、過剰に自分を責める傾向があります。その結果、何につけても「反省」ばかりするのです。日本で反省は模範的態度と見られるかもしれませんが、私は、絶対に反省なんかしなくていいと思っています。
――なぜ看護師は「反省」をしてはいけないのでしょうか?
武井:インシデントは決して個人の責任ではないからです。
――たしかに、インシデントが起きるまでにはさまざまな事情が絡んでいますよね。
武井:ですからインシデントを個人の責任とするのではなく、発生に至るまでの過程やそもそもの労働環境など、組織全体の問題として状況を正確にとらえ直して検討することが大切なのです。また、発生したインシデントは、組織全体にとっての新たな学びや成長のチャンスとも考えられます。ぜひ反省ではなく、自由な対話を通して情報や対策の共有ができ、「失敗」から学べるような組織体制を作っていただきたいです。
――それは、組織のリジリエンスを高めることになりそうですね
武井:まさにそうです。リジリエンスは、困難や逆境、ストレスといった負の状況を乗り越えることで高まります。それには個人の努力だけではなく、周りのサポートが必要不可欠です。また、組織自体にもリジリエンスが必要です。そこで私がおすすめしているのは「グループ」と呼ばれる方法で、精神科の治療においても非常に有効であると言われています。
――グループとはなんですか?
武井:グループとは、その場に関与する人々が集まり、今、そこで感じたことを率直に語り合う方法です。
――グループを行うことで、どのようにリジリエンスが高まるのでしょうか?
武井:グループでは同意見が歓迎されるのではなく、むしろ異なる考えや感情をもつ人が互いにその違いを尊重し、話し合うことで違いを理解していくことが大事とされています。みんなと意見が違っていても「ここにいていいんだ」という感覚が得られることで、防衛的にならず、真の自分を受入れることができるようになります。こうして、個人のリジリエンスもグループのリジリエンスも高められるのです。
――グループに参加したことがない看護師は多いと思います。どのようにグループを見つければいいでしょうか。
武井:まずは、お住いの地域で看護師同士のグループを行なっているところがないか探してみてはいかがでしょうか。日本集団精神療法学会では、職種に関係なくグループの研修を提供していますし、ホームページでは各地の研修会などを紹介しています。なければ、身近な人に声をかけて少人数のグループを試してみてはどうでしょうか。
――素敵なお話をありがとうございました。最後に、今も働き続ける看護師にメッセージをお願いします。
武井:厳しい環境の中、看護師として働いていらっしゃる方々には、心から敬意を示したいと思います。ただあんまり頑張りすぎないで、ぜひ自分を大切にしてください。疲れを感じないスーパーマンなんてどこにもいません。自分の限界を認めて、疲れたら休む。これ以上は無理と思ったらそこまでにする。自分だけの時間や楽しみを大事にする。それをぜひ心がけていただければと思います。
武井 麻子
日本赤十字看護大学名誉教授。東京大学大学院修士課程在籍中から、看護師兼ソーシャルワーカーとして千葉の民間精神病院に12年間勤務。その間、英国ケンブリッジのフルボーン病院にて研修を積み、1990年から2015年まで日本赤十字看護大学に所属。現在は京都看護大学大学院特任教授およびOffice-Asako主催。著書に『感情と看護』(医学書院)、『思いやる心は傷つきやすい パンデミックの中の感情労働 』(創元社)など多数。
取材/内山直弥
イラスト/サイトウカエデ
企画・編集/藤田佳奈美
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