• 2026年9月17日
  • 2026年9月15日

看護師からカフェ経営、コスメ開発へ。「知らない怖さ」を「知る楽しさ」に変える50代のキャリア開拓

 

千葉県市川市。線路沿いの道から木々の間へと足を進めると、豊かな緑に包まれるようにして、大きな木造の古民家が姿を現します。

築70年以上の建物を生かした「ママノキモチカフェ」です。

庭には季節の草花が咲き、木々の間にはツリーハウスも。店内のどの席を選ぶかによって、目に映る景色も少しずつ変わります。

ウッディ調の落ち着いた空間。

庭の緑と行き交う電車を望むツリーハウス。こぢんまりとした空間はまるで秘密基地のよう。

取材に訪れたのは、まだ暑さの残る時期。迎えてくれたオーナーの勝美津子さんは、すぐに冷えた麦茶を差し出してくれました。その後も、こちらの様子を気遣う言葉が折々に添えられます。決して大げさではない、ごく自然な心配り。どこか「患者をよく観察して、適切な対応をする看護師さん」のような安心感を覚えたのは、勝さんが約15年にわたり看護師として人と向き合ってきたからなのかもしれません。

現在はこのカフェを営む傍ら、スキンケアブランド「オハダノキモチ」を立ち上げ、商品開発にも挑戦。自宅の庭に育つ「びわ」に着目して開発した商品は、市川市のふるさと納税返礼品にも選ばれました。

看護師、カフェ経営、そしてスキンケアブランドの立ち上げ。一見すると異なる3つの仕事ですが、勝さんの話を聞いていると、その根底には共通するものがあることに気づきます。

「相手の話をていねいに聞いて、その人にいま本当に必要なものは何かを考える。看護師時代に身についたことが、今の仕事にもそのまま生きていると思います

病院を離れたあと、看護師として培ったものはどのような形で次のキャリアにつながったのでしょうか。勝さんの歩みをたどります。

「知識・技術・心」がそろってこそ、患者さんの役に立てる

右から2番目が、看護学校の戴帽式時の勝さん。

勝さんが看護師を目指した理由の一つは、「1人でも生きていける資格を持ちたい」と考えたことでした。

母親が病気がちだったこともあり、身近な人に何かが起きたとき、対応する術を「知らない」ことへの怖さを感じていたといいます。

「何かあったときに家族や身近な人の役に立てる知識を持っていたいと思い、看護師になりました」

虎の門病院に勤務し、クリニック勤務なども経て、看護師として働いた期間は約15年。今も忘れられないのが、亡くなる間際の患者さんと、そのご家族との出来事です。

患者さんのそばでどうしていいかわからずに立ちすくむ息子さんに、勝さんは「手を握ってあげてください」と声をかけました。後に感謝されたその経験は、医療処置を行うだけではなく、患者さんと家族の様子を見て、その場で自分にできることを考え、心を尽くすこともまた看護なのだと実感した出来事でした。

そしてもう一つ、虎の門病院で学んだのが「協力して一緒に働く」ということでした。

忙しく責任の重い現場だからこそ、誰か一人で抱え込むのではなく、互いに声をかけ、助け合う。勝さんが振り返る当時の職場には、いわゆる派閥や人間関係のしがらみを感じることも少なく、同僚たちが同じ方向を向いて働く空気があったといいます。

「本当に人に恵まれていました。一緒に働くこと、助け合うことを、あの場所で教えてもらったと思います」

相手を見ること。わからないことは確かめること。そして、自分だけで解決しようとせず、人の力を借りること。そして『知識・技術・心』の3つがそろってこそ、患者の役に立てると実感したといいます。このころに身についた仕事の姿勢は、病院を離れたあとも変わりませんでした。

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40代で始めたカフェ。知らない世界へ踏み出すことを楽しむ

その後、子どもの受験などをきっかけに看護師の仕事を離れた勝さん。子育てが少し落ち着いたころ、「何かに取り組んでいる自分の背中を子どもに見せたい」と考えるようになります。

そこで目を向けたのが、「好きに使っていい」と義母から譲り受けた古民家でした。

近隣には、学校の保護者などが気軽に集まって話せる場所があまりない。それならば、この家をそんな場所にできないだろうか。そう考え、2015年に「ママノキモチカフェ」をオープンしました。

飲食店を経営した経験はありません。開業資金約250万円は自己資金で用意し、カフェ開業について書かれた本を読み、そこに書かれている手順を一つずつ実践しました。

家具はオークションで探し、塗料も自分で購入。わからないことがあれば、AIを活用したり、その道に詳しそうな人に「こういうことをしたいのだけれど、知っている人はいませんか」と尋ねました。そこから業者を紹介してもらうなど、人とのつながりをたどりながら、一つずつ必要な知識や協力者を見つけていきました。

「不安より、知らないことをやるのが楽しかったんです。この古民家も『何をしてもいいよ』と、おもちゃ箱を渡されたような感覚でした」

最初に来店したのはママ友たちでした。そこから口コミで人が人を呼び、やがて3〜4人のグループで食事や会話を楽しむ、地域の人たちの憩いの場になっていきます。

その客層を大きく変えたのが、新型コロナウイルスの流行でした。

コロナ禍で増えた一人客。結果として広がったカフェの客層

それまでカフェの中心だったのは、ママ友など複数人で訪れるお客さんでした。しかしコロナ禍になると、大勢で食事をしたり会話を楽しんだりすることが難しくなり、グループ客の足は遠のきました。

一方で、一人で静かに食事をする「黙食」というスタイルが広がったことで、それまでとは異なるお客さんが訪れるようになります。

「それまではママ友など、何人かで来てくださる方が多かったんです。でもコロナになって、一人で来てくださるお客さまが増えました」

そしてコロナ禍を経た現在は、友人同士で会話を楽しむグループ客も戻り、一人でゆっくりと過ごす人も訪れ、結果として、コロナ以前よりもカフェを利用する人の幅が広がりました。

カフェを始めたことで得たものについて、勝さんは「人とのつながり」を挙げます。

「いろいろな人と知り合えて、地域に顔なじみが増えました。地元ではなかった場所で、さまざまな業界の方ともつながることができた。それが人生を豊かにしてくれたと思います」

そのつながりは、50代になって始めた次の挑戦にもつながっていきます。

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50代で挑戦した、びわを生かしたスキンケアづくり

カフェ開業から約10年。勝さんが次に始めたのが、スキンケア商品の開発です。きっかけは、50歳を過ぎて感じるようになった、自身や家族の肌の変化でした。

そして身近にあったのが、自宅の庭に育つびわの木です。

自宅のびわ。この1本の木から300個ほどの実がなるそう。

「びわの葉は肉厚で、裏側にはうっすらと毛が生えているんですよ」

びわの葉がお茶や入浴剤など暮らしの中で活用されていることを知り、勝さん自身も試すようになりました。そこから「びわの葉を活用して、自分が毎日使いたいと思えるスキンケアをつくれないだろうか」と考え始めます。

びわの葉エキスに加え、保湿成分としてナイアシンアミドやセラミドなどを取り入れた商品を構想。OEMメーカーを探し、試作を重ねながら製品化を進めました。

その過程で勝さんが夢中になったのが、成分について調べ、組み合わせやバランスを考えることでした。

「看護師は理系的に考えることに慣れていますし、私はもともと実験のようなことも好きでした。成分を一つひとつ調べて考える時間が、とても楽しかったんです」

看護師時代には、患者さんの状態を観察し、情報を集め、その根拠から必要なケアを判断していました。対象が患者さんから化粧品へと変わっても、「まず調べる」「根拠を考える」「より良い方法を探る」という姿勢は変わりません。

こうして完成したのが、スキンケアブランド「オハダノキモチ」です。

ブランドで大切にしたのは、「続けられること」。

忙しい日々の中で何種類もの化粧品を使い分けるのではなく、無理なく生活に取り入れられるシンプルなスキンケアを目指しました。

「自分と同じように忙しくて、スキンケアにたくさんの手間をかけられない人に使ってもらいたいんです。旅行に持っていくにも簡単で、毎日無理なく続けられるものにしたいと思いました」

自ら市に企画を持ち込み、ふるさと納税返礼品へ

2026年5月に販売を開始した「オハダノキモチ」は、カフェ店頭やオンラインショップで販売するほか、市川市のふるさと納税返礼品にも選ばれました。

その背景にも、カフェを長く続ける中で築いてきた地域との関係がありました。

市川市のプロモーションやイベントにも参加していた勝さんは、商品完成後、自ら市の担当者に相談。企画書を送り、「地域に根づいた商品にしていきたい」という思いを伝えました。

長く地域の人を迎えてきた古民家。その庭に育つびわに着目し、新しい商品へとつなげる。カフェで培ってきた地域との関係もあり、商品はふるさと納税返礼品として採用されることになりました。

しかし、商品が完成したからといって、それだけで必要な人へ届くわけではありません。勝さんにとって、商品をつくることとはまた別の難しさが待っていました。

商品をつくる以上に難しかった、「伝える」ということ

「良いものをつくることと、それを人に伝えることは、まったく別なんだとわかりました」

化粧品開発も、販売も、広報も初めての経験。それでも自らメディアへ情報を送り、SNSやブログで発信を続けました。商品を購入した人がどんな人なのか、どのような感想を持ったのかも記録しています。

すぐに大きな結果が出るわけではなくても、目の前の反応を見ながら一つずつ試していく。その積み重ねが、地域メディアで紹介されるなど、新たなつながりへと発展しています。

振り返って勝さんは、「自分が本当に納得できるものを、誠実に伝え続けること」が大切だったと話します。

「看護師を辞めた」のではなく、寄り添う場所が変わった

ママノキモチカフェ名物の「アップルシナモンガレット」(1,250円)

看護師からカフェ経営者へ。そして50代からは、スキンケアブランドのオーナーにも挑戦した勝さん。肩書だけを追えば、大きくキャリアを変えてきたように見えますが、本人の感覚は少し違います。

「私は今も、『看護師を辞めた』とは思っていないんです。病院で患者さんに寄り添っていた場所が、古民家カフェやスキンケアを通じて地域へ広がっただけだと思っています」

人生の節目で勝さんを支えてきたのは、虎の門病院でともに働いた同期たちでした。一緒に学び、悩み、成長してきた仲間とは、30年以上経った今も定期的に集まり、お互いの近況や挑戦を報告し合っています。

これから新しい道を考えている看護師に、勝さんはこう伝えます。

「患者さんに寄り添ってきた経験や出会った仲間、相手を思いやる姿勢、根拠を持って考える力は、地域でも、ものづくりでも、起業でも生かせる財産だと思います」

病院を離れることは、それまで看護師として積み上げてきた経験を置いていくことではありません。人がほっとできる場所をつくること。暮らしの中で使うものを届けること。そして、目の前の相手をよく見て、その人に必要なものを考えること。

取材のはじめに差し出された、よく冷えた一本の麦茶を思い出します。

「看護師として学んだ『相手を思う気持ち』は、これからも私の仕事の中心であり続けたいと思っています」

そしてもう一つ、勝さんのこれまでを振り返ると、どの選択にも共通している姿勢があります。

知らないことを、知らないままにしておかないこと。

母親の病気を前に「知らない」ことへの怖さを感じ、知識を身につけるために看護師になった。経験のないカフェを始めるときには本を読み、一つずつ開業の方法を学んだ。50代で化粧品づくりに興味を持てば、成分を調べ、その組み合わせを考えることそのものを楽しんだ。

一方で、異業種や起業に挑戦するなら、お金についての知識も身につけておいてほしいと話します。看護師として技術や奉仕の心を学ぶ機会は多くても、お金について学ぶ機会は決して多くない。だからこそ、自分を守り、新しい選択をするための知識として持っておくことが大切だと考えています。

知らないから踏み出せないのではなく、知らないからこそ、知ろうとする。そして、知っていく過程を楽しむ。

「不安より、知らないことをやるのが楽しかった」という勝さんの言葉は、その歩みをよく表しているように思います。

看護師として身につけた知識や技術はもちろん、その過程で培われた「わからないことを調べ、考え、判断する力」もまた、場所や肩書が変わっても失われることのない財産。働く場所も、肩書きも、年齢も、新しいことを始めない理由にはならない。

知らない世界に出会ったとき、それを不安だけで終わらせず、「知ってみたい」と思えること。その好奇心こそが、まだ見たことのない未来の選択肢へと、自分を連れていってくれるのかもしれません。

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企画・取材・編集:藤田佳奈美(TAC企画)

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