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個人インタビュー

個人インタビュー①

独立行政法人労働者健康安全機構富山労災病院

Mさん
Mさんさん 手術室 特定看護師(術中麻酔領域)

1999年入職。外科病棟で3年間勤務、その間に結婚。二人の子どもの産休・育休を経て手術室看護師として復帰。以降19年間手術室で経験を重ね、特定看護師としても活躍。子育ても一段落し、休日はゴルフに夢中。

復帰先は手術室を希望、育児と両立しながらキャリアアップ

入職から現在までのキャリアを教えてください。

入職から現在までのキャリアを教えてください。

私は魚津市出身で「地元に貢献したい」という気持ちから、学校卒業後、この病院に入職しました。3年間外科病棟で働き、その間に結婚し、妊娠しました。産休・育休を取得し、同病棟に復帰後、ほどなく第2子を妊娠し、再度産休・育休を取得しました。復帰の際には働き方について看護師長に相談し、手術室を希望しました。病院全体で子育てに理解がありますが、手術室についても同様で、お互い様の風土が根付いています。何より、待機体制についても当番を決めなくても自主的に手が空いてる人が出勤をしてくれることが、組織風土を表していると感じています。また、下の子が2歳になるまで16時までの時短勤務を活用しました。休日も取りやすく学校行事にも参加できました。家族の協力もあり、育児や家事にそれほど苦痛を感じず、働き続けることができました。今は指導役としての職務も担っています。

長年働き続け、どんなところに働きやすさを感じていますか。

長年働き続け、どんなところに働きやすさを感じていますか。

手術室の看護師は8名で病棟と比べると少人数です。そのため、毎日顔を合わせているのでコミュニケーションがとりやすくなっています。手術のないときには、ナースステーションで情報交換を行い、何でも言えて、相談できる風通しのよさを感じます。20代から50代まで幅広い年齢層の看護師がいて、私のような先輩看護師が率先して声をかけることで、後輩たちも倣ってくれるため、「声をかけやすい風土」が築かれているのではないでしょうか。その証として、当院では土日の緊急出勤に待機体制を設けていません。当番の人が出られないときは、必ず誰かが手を挙げて代わっています。「困ったときはお互いさま」という強い協力体制があります。もちろん、私もできるときは対応していますよ。

気持ちが落ちたときに資格に挑戦。ずっと成長できる環境です!

19年間手術室で勤務するなかで、気持ちの変化はありましたか。

19年間手術室で勤務するなかで、気持ちの変化はありましたか。

下の子が中学生になって手がかからなくなると、急にモチベーションが下がった時期がありました。自分の時間も持てるようになり、そのときに「スキルアップのために勉強しよう」と思い立ちました。そこで、日本手術看護学会認定の「手術看護実践指導看護師」を取得。当院では第一号でした。2022年には手術室長の提案もあり、術中麻酔領域パッケージ特定看護師資格に挑戦しました。子育てが一段落し、「学びたい」という気持ちが芽生えたのと、病院側の「やってみないか」という動きがちょうど合致し、やる気に拍車をかけました。特定看護師の試験に向け、業務時間内に1ヶ月30時間勉強のための時間を確保できる支援体制があり、すき間時間に勉強していました。

今後の目標を教えてください。

今後の目標を教えてください。

後輩が増えてきたこともあり、一看護師として、また特定看護師としても指導力を磨き、後輩育成に貢献したいと考えています。当院には「特定認定看護師・特定看護師会」という委員会があり、月に一度、症例検討や情報交換などを行っています。身につけた知識を活かし、さらに成長を実感できる場です。一方で、休日は仕事を忘れて、ゴルフやママ友との食事を楽しんでリフレッシュ。仕事終わりに後輩と打ちっぱなしに行くこともあり、充実したワークライフバランスを保っています。当院では幅広い年齢層の看護師が活躍し、相談がしやすく、お互いに高め合える環境が整っています。配属先も相談に応じてもらえるので、自分に合った働き方が見つかると思います。

個人インタビュー①

独立行政法人労働者健康安全機構富山労災病院

設立
1958年5月
所在地
富山県魚津市六郎丸992

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