• 2021年4月19日
  • 2021年11月15日

感染症コンサルタントから現場ナースへのエール

 

世界中で猛威を振るった新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、現代における感染対策の重要性をよりいっそう浮き彫りにしました。また、感染拡大当初は情報が錯綜する中で、「何が大切で、何がそうでないのか」を見極めることも必要でした。感染症看護の臨床を経て、現在はフリーの感染症コンサルタントである堀成美さんは、まさにそうした状況のなかで医療現場のために動いてきた一人。ここでは堀さんのキャリアを振り返るとともに、コロナ禍での奮闘の様子、そして現場ナースへのメッセージを語っていただきます。

看護師第1号として「実地疫学専門家」の道へ

——堀さんは、一般の大学を卒業してから看護の道に入ったと伺っています。どのような経緯だったのでしょうか。

高校に進学するタイミングでは、当初、看護師養成コースがある学校を選ぼうと思っていたんです。でも、母親から「いきなり将来を絞らないほうがいいよ」といわれたことで、「確かに。本当に看護師になりたければ後からでもキャリアチェンジできる」と思い直し、普通科に進学しました。その後、“街角の正義”を体現するような分野に興味を引かれ、大学は法学部に進学したのですが、そこのゼミで医療過誤について学んだことで、再び医療について深く考えるようになりました。弁護士になって「問題が起こってから介入すること」よりも、医療従事者になって「そもそも問題を起こさないこと」のほうが社会のためではないかと。そう思ったんです。

それでも大学卒業後の進路は迷いに迷い、結局は以前から興味のあったタイに留学。社会科学系の勉強をすることにしました。実は、大学在学中に結婚していたのですが、あのときは「離婚届けを出したいなら出して!」と言い放ち、反対する人が多い中、日本を出発しましたね(笑)。でも、結論としては行ってよかった。現地ではHIV/AIDSが大きな社会問題になっていて、そこで学んだもの、得たものが私の原点になったからです。おかげで「私が本気でやるべきことは法律の仕事ではなく医療だ」と確信できたので、留学を途中で切り上げて、日本に帰ってくることにしました。

日本に戻ってからは看護短大を卒業して、感染症看護、特にエイズのことに携わるためにはどうしたらいいかを模索しました。でも、そのときはなかなか道が見えてこなかったのと、看護短大在学中に子どもを産んでいたのとで、自宅に近い病院に入職することにしたんです。それでも、一人前の看護師になるためには修行が必要だと思い「一番大変な病棟に入れてください」と申し出たりはしました。

それからしばらくは、その病院で働いたのですが、あるとき「エイズに興味がある(変わった)看護師がいる」ということで、エイズ診療に力を入れている都立駒込病院からお誘いをいただき、非常勤として移ることになりました。なぜ非常勤を選んだかというと、異動がなく感染症外来に張り付くことができるからです。

——都立駒込病院の感染症外来では、どんな出会いがありましたか?

都立駒込病院の感染症外来でエイズの患者さんと継続的に関わっているときは、普通の病棟や診察室では聞けないような患者さんの胸の内を聞くことができました。ある患者さんから、「堀さん、余力があればエイズの予防に取り組んだほうがいいよ。ほとんどの人は、コンドームで予防できることは知っている。けれど、感染してしまう。結局、一過性のキャンペーンだけでは、後に続く患者さんを食い止められないと思うんだ」と言われたことは、いまでも記憶に残っています。

また当時、都立駒込病院感染症科にいらした、尊敬する感染症医の味澤篤先生も、こんなふうにおっしゃっていました。「堀さんはエイズのことに熱心だけれど、病院は感染した人を待つ場所。川下に流れてきた患者さんだけを見て、一生懸命に治療・ケアしている。本当は、川上でやれる人が必要だけれど、日本にはそういう仕事があまりないんだよね」と。都立駒込病院での仕事は楽しかったし、勉強にもなりましたが、その言葉を聞いてからは「川上」を目指すべきなのか悩みましたね。そして、そんななかで新たな示唆を与えてくださったのがアメリカ人医師のジョン・コバヤシ先生でした。

「アメリカにはフィールドエピデミオロジスト(疫学者)という職種があって、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)がそれを養成している。残念ながら日本からは原則としては採用していないけれど、日本の国立感染症研究所にも実地疫学専門家養成コース(field epidemiology training program;FETP)というよく似たものがある」。その話を聞いて心が躍りました。感染症と疫学の知識を駆使して感染予防のコンサルテーションを行ったり、感染症危機管理事例を探知して適切な措置を取ったりするための専門家を養成するプログラム(2年間)で、私がやりたいことにぴったりだったのです。

ただ一つ問題があって、当時のFETPの募集要項には、看護師を想定する文字はありませんでした。これは悲しかったですね。当時の募集は医師や獣医師を想定していたようで、看護職は私が入るまでは採用が無かったのです。しかし、診療するわけではないのだから、医師であろうがなかろうが関係ないだろうと。それで問い合わせたところ「応募してもいい」と言われたので、すぐに応募したら……。なんと合格したのです。私が看護師としては第1号なんですよ。チャンスを与えてもらって本当に嬉しかったですね。医師の研修生に負けないように頑張ろうと思いました。

——プログラム修了後も、堀さんのキャリアは波瀾万丈だったそうですね。

「とりあえず終わったけれど、さあ、どうしよう」と思っていたのですが、聖路加看護大学(現・聖路加国際大学)で看護教育に関わることになりました。「大学の教員」は自分では1mmも考えていなかった選択肢なので、まさに「想定外」です。これは聖路加の井部俊子さんとの出会いが大きかったですね。看護の王道を歩んできたわけではなく、かといって「聖路加カラー」に染まることもできないであろう私を面白がって、「(看護教育の領域でも)これまでのことにとらわれて自ら制限をかけないで、新しいことを進めていってほしい」と受け入れてくれたのです。

そこでは、学内に感染管理認定看護師養成コースを作ることをミッションとしていたのですが、諸々の事情で結果的にはこのコースは新設されず。なので、それを一区切りとして別の道を探ることにしました。

その後、私が大学を辞めたことを聞きつけた大曲貴夫先生と当時の総長が、国立国際医療研究センターに誘ってくれたのですが、通常、看護師が採用されるときは看護部所属になるところ、私としては看護部に入って働くのではなく、より大きな視点から感染症のことをやりたかった。それで、そのことを正直に伝えてみると……。大曲先生は「それでいい」と言って、新たに「感染症対策専門職」というポストを作ってくれました。院内にはすでに感染管理を専門とする看護師が複数いたので、院内の感染管理そのものにはコミットはせず、院外つまり、自治体や地域の医療機関、国際機関との連携、市民や報道むけの情報発信・リスクコミュニケーションなどを担当していました。
「国立国際医療研究センターの感染症対策専門職」というポジションや役割と、ここで手がけた仕事の数々は、間違いなく私の強みになっていると思います。

現場の看護師を孤立させてはならない

——ロールモデルがない中で培ってきた堀さんの感染対策に関する知識・能力を、今後どうやって社会に還元していこうとお考えですか?

さまざまなやり方が考えられますが、その一つとして会社を設立しました。業務内容を一言で言うと、感染症に関するコンサルテーションをアウトソーシングで提供するというものです。元の医療機関を引退した専門職や、フリーランスで活動をしたい人たちと一緒に教育活動を展開するプラットホームを作りたいと思いました。弁護士や税理士が会社などの顧問となって専門的業務を提供するケースは少なくありませんよね? その感染対策版と考えてもらえばいいと思います。

すでに病院などからお話をいただいていますが、私がいちばんやりたいと思っているのは、感染対策の教育プログラムを対象に合わせて作成・展開することです。汎用的なマニュアルはどこにでもありますが、たとえば「精神科でマスクや手洗いができない患者さんを相手にする場合はどうしたらいいか」といった個別具体的なものは、オンデマンドで対応するしかありません。そのときに現場に入り込んで、そこの人たちの困り事を拾い上げて、本当に役立つものを作っていく。これは私が大切にしている「対話型感染対策」のやり方でもあります。

現在はキャパシティいっぱいなので宣伝も積極的な業務を拡大もしていません。法人にすることで社会での活動のしやすさや、認知のされやすさはあると感じます。個人の努力で頑張るといったことではうまくいかないこともあるので、一つのターニングポイントになりました。

一般の人に向けたアプローチとしては、インターネットを活用した情報発信がおもしろいと思っています。そのため2020年4月から、日本科学未来館のサイエンスコミュニケーターの皆さんと一緒に、「ニコニコ生放送」で「わかんないよね新型コロナ~だからプロにきいてみよう~」と題した番組を40本以上も作り、視聴者の皆さんとリアルタイムでコミュニケーションを重ねてきました。これも「対話型感染対策」の一つのありかたですよね。

付け加えるなら、この番組は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)をめぐる報道番組や、ワイドショーの情報発信に対するアンチテーゼという意味合いもありました。複数の番組に出演することになりましたが、それは誰かの役にたつような内容でもなく、視聴率を得るために不安を煽る作り込みになっていました。たとえば、ニューヨークやイタリアの医療現場で大混乱が起こっている映像を出してきて、「2週間後は東京もこうなるのでしょうか?」と悲壮な面持ちで質問される、といった具合でした。私は「それらの都市と東京では感染の状況も、それに対する措置も、何もかも事情が異なるのだから、そうなるとは言えません」というような回答をしましたが、番組の空気を完全に壊していましたね(笑)。以後お誘いはありません。番組の意図にそぐわないと、そういうことになるのでしょう。
でも必要なのは、一方的な煽りではなくて、疑問や不安があってもいいので、確かめながらそれを解決していく対話型のコミュニケーションなんです。

——堀さんは東京都看護協会危機管理室のアドバイザーも務めていますが、これはどういった経緯からですか。

面識のあった東京都看護協会の山元恵子会長に連絡を取ったのは、2020年3月下旬のことでした。COVID-19に対して現場の看護師たちが奮闘しているなか、そして、時には心ない人間から不当な差別的扱いを受けているなかで、看護師の職能団体である看護協会はどう看護の現場を守るのかを聞きたかったからです。物品や人員を提供するなどの支援策も大切ですが、それより何より「現場の人たちを孤立させない」「私たちが守りますよ」というメッセージを出していただきたかったのです。

医療従事者は看護や医学で学位を取る人が多いなか、山元会長は大学院で危機管理を専攻されていた。そして、東京都看護協会に危機管理室を設けていました。そこをベースに会員施設に対する物心両面のサポートを行うということだったので、私もアドバイザーとして関わることになりました。クラスター発生で大混乱した病院を診療再開まで持っていくなど、当時の東京都看護協会の頑張りはかなりのものだったと思います。現場の看護師を支えるという意味では、危機管理室に精神看護専門看護師をコンサルタントとして置き、各現場のメンタルサポートにあたらせたことは、特にファインプレーだったのではないでしょうか。

COVID-19だけを特別視しすぎず、日々の感染症対策を徹底しよう

——COVID-19の感染対策として、現場の看護師が特に気を付けるべきポイントは何でしょうか。

COVID-19だからといって何も目新しいことはなく、手袋+マスクという標準予防策、そしてアルコール消毒による手指衛生と環境衛生、これらを正しい方法で徹底すれば、そう恐れることはありません。クラスターが発生しているような現場を見ると、人手不足や個人個人で知識や手技がバラバラだったり、ウイルスが持ち込まれたら広がりそうな条件があるところが多くありました。

ためしに、日本でのCOVID-19の初感染例のことを思い出してみてください。患者さんは武漢渡航歴があり、発熱。「インフルエンザかな?」と思ってクリニックを受診したのですが、インフルエンザは陰性で自宅に帰されました。でも、症状が改善しないので今度は病院を受診し、今度は肺炎像が確認されたために入院。その後COVID-19の確定診断が下されました。

この患者さんを受け入れたクリニックや病院の人たちは、確定診断まではCOVID-19だと思って特別な警戒をしていたわけではありませんよね? でも、ここからCOVID-19の感染が広がるようなことはありませんでした。なぜかというと、インフルエンザのシーズンで、感染予防の意識が高まっていたからです。きっと「熱がある方は先に申し出てください」とか、「お見舞いはご遠慮ください」とか、そういう対策もしていたでしょう。呼吸器系の感染症かもしれない、と思ったらやる対策を続けていれば、結果的に同じように広がる他の感染症の対策にもなる、ということがわかります。

——最後に、全国の看護職に向けてメッセージをお願いします。

看護職の特徴は、医療現場に限らずさまざまな場所で働いている点だと思います。地域の保健所にも、介護施設にも、会社にも、学校にも、社会のあちこちに看護職がいます。だからこそ、COVID-19のような社会的な問題に立ち向かうときは、「自分の職場」という垣根を越えて看護職同士がつながり、ネットワークを作ることが大切ではないでしょうか。そして、私はそこにこそ希望を見出しています。

取材・文/ナレッジリング(中澤仁美)

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