• 2022年5月8日
  • 2022年6月8日

【看護週間SP企画】医療の歴史を振り返り「看護師のプロフェッショナリズム」を考えよう|順天堂大学 医史学 澤井直先生

 

構成/株式会社Gateway(https://gateway-group.co.jp/)
取材・文/ナレッジリング 中澤仁美
撮影/ブライトンフォト 和知 明

マイナビ看護師が現役看護師495名に看護観をテーマにアンケート(2022年2月14日~2月21日)を実施したところ、約60%の看護師が「看護観は大切」と回答しました。「大切にしている看護観は?」という質問については、「1秒でも早く、1つでも多くの安全と安心を届ける」「自分らしく生きることを支える」「滅私」などさまざまなコメントが寄せられています(詳細はこちらの記事をチェック!)。 折しも5月12日は看護の日。みなさんもこの機会に、自らの看護観を見つめ直してみてはいかがでしょうか。ここでは、医療の歴史を手がかりに「看護師のプロフェッショナリズムとは何か?」を探るため、順天堂大学で医史学を研究する澤井直先生にお話を伺いました。


【看護週間スペシャル企画講師】
澤井 直(さわい・ただし)先生
順天堂大学 医学部 医史学研究室 助教

京都大学文学部卒業後、京都大学大学院文学研究科博士後期課程(科学哲学科学史専修)学修退学。順天堂大学大学院医学研究科博士課程(第一解剖)、順天堂大学医学部解剖学・生体構造科学講座助教を経て、2015年より現職。専門は医史学、解剖学史、科学史。

古代ギリシャの時代から芽吹いていた「患者を思う心」

「太古の昔にあった医療者の言葉が、現代の看護観としても通用するなんて不思議ですよね」と話す澤井直先生
「太古の昔にあった医療者の言葉が、現代の看護観としても通用するなんて不思議ですよね」と話す澤井直先生。看護観を高める珠玉の参考書籍についても伺った

「医学の父」と呼ばれるヒポクラテスの名前は、みなさんもご存じでしょう。紀元前の古代ギリシャで活躍した医師の一人です。「そんな大昔の人、今の医療とは何の関係もないのでは?」と思われるかもしれませんが、実はヒポクラテスが提唱した考え方は、今の時代にもしっかりと受け継がれています。

例えば、現代医療において「科学的な根拠に基づいて治療を行う」のは当然のことですよね。しかし、かつては「病は神様が引き起こすもの」と考えられており、治療といっても祈とうなどの神事的なものが中心でした。そうした考え方、やり方を否定し、病気を“自然の現象”として理解しようとしたのがヒポクラテスであり、その科学的な姿勢はのちの医療の発展に大きな影響を与えたのです。

病気の状態やその進行具合、治療の効果といった記録を残すようにしたのも、ヒポクラテスが最初だといわれています。「一人の医師が経験できることには限りがあるものの、それを記録して共有することで、他の地域や後世の医療者が参考にできる」と考えたのです。驚くのは、彼が成功事例だけでなく、失敗事例についてもきちんと記録を残していること。個人的な業績には執着せず、「今は無理でも、いつか治せるようになるはず」と未来に希望を託してデータを集積していたヒポクラテス——。その姿に共感できる看護師さんも多いのではないでしょうか。

また、ヒポクラテスは、現代の看護観に通じるような言葉も少なからず残しています。例えば「人間愛のあるところに、医術への愛もまたある」という言葉。そこには、単に治療を施すだけでなく、患者の気持ちを積極的な方向へ持っていくことも医療者の務めだという思いが込められています。何千年も前の世界にも、みなさんと同じように心を尽くしてケアを提供する医療者がいて、それに対して心から感謝する患者の姿があった。そう考えると、なんだかうれしい気持ちになりませんか?

医師の職業倫理について書かれた宣誓文「ヒポクラテスの誓い」は、のちの『ナイチンゲール誓詞』にも影響を与えた(写真/Shutterstock)
医師の職業倫理について書かれた宣誓文「ヒポクラテスの誓い」は、のちの『ナイチンゲール誓詞』にも影響を与えた(写真/Shutterstock)

幕末の日本に、専門職としての看護師が誕生

1875年(明治8年)湯島に新設された順天堂医院。江戸時代に創始された蘭方医学塾に起源を持つ(写真/提供:順天堂大学・日本医学教育歴史館)
1875年(明治8年)湯島に新設された順天堂医院。江戸時代に創始された蘭方医学塾に起源を持つ(写真提供/順天堂大学・日本医学教育歴史館)

ここからは、時計の針を進めて、日本における西洋式病院の出発点にフォーカスしてみましょう。ときは幕末。オランダ人医師のポンペ・ファン・メーデルフォルトが、長崎で小島養生所を開き、身分の高低にかからず平等に治療を施したことで、人々から厚い信頼を得ていました。これが、日本最初の近代西洋式病院です。ポンぺは、日本人医師にコレラの治療法などを教えた人物でもあり、「ひとたびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく、病める人のものである。もしそれを好まぬなら、他の職業を選ぶがよい」という言葉を残しています。まさに医療者のプロフェッショナリズムを問う一言だとは思いませんか?

また、ポンぺは専門的職業者として“看護人”を雇っており、それが日本における病院看護師の始まりだとされています。それまでも、治療の場に付添人はいましたが、患者の家族であるケースがほとんど。常に患者に寄り添い、職業意識を持って世話をするような形ではありませんでした。

その後は、日本人による西洋式病院が次々に設立。その先駆けとなったのは、明治初期に日本初の私立病院として開院した順天堂医院でした。同院が開院した当時は、最新の治療を受けようとたくさんの患者が訪れ、早々に増築や移転が必要になったとか。それと同時に、たくさんの患者の治療をサポートし、病室での生活を支える看護の専門職が求められることにもなりました。もちろん、こうした流れは順天堂医院に限ったことではなく、全国各地の病院でも同様でした。

時代が進むにつれて医療を提供する場は多様化し、テクノロジーも進歩してきました。しかし、近代的な治療の場に「看護のプロ」が必要不可欠であるという点は、今も昔も変わりません。物理的にも、時間的にも、精神的にも患者に寄り添い、ケアを担う看護師のあり方は、これから先も不変なのではないでしょうか。

「看護実習」が医学生のプロ意識を育む

アーリーエクスポージャーを体験した医学生は、看護師が患者にとって一番身近な存在であり、いかに頼りにされているかを学ぶ(写真/PIXTA)
アーリーエクスポージャーを体験した医学生は、看護師が患者にとって一番身近な存在であり、いかに頼りにされているかを学ぶ(写真/PIXTA)

さて、ここまでの話には、医療人としての“プロフェッショナリズム”に関わる言葉がいくつか出てきました。そうした概念を理解し、精神を養うことは、現代の医療教育でも重視されており、そのための施策としてあげられるのがアーリーエクスポージャー(早期体験実習)です。例えば、順天堂大学医学部では、医学の基礎知識を習得する前の学部1年生に、臨床現場を見学・体験させています。そのうち2日間は「看護実習」として病院看護師に同行し、寝衣交換や血圧測定といったケアの一部を体験するのですが、これは医学生にとってかなり印象深い経験となるようです。

たとえ自分が入院経験を持っていたとしても、そこで見られるのは自身のベッドサイドにいる看護師像だけです。しかし、看護実習では、何人もの担当患者を抱えながら猛烈なスピードで動き回り、病室では患者に不安を与えないように落ち着いた振る舞いをする「真の姿」を知ることになります。そうした経験に、衝撃を受ける学生が少なくないのでしょう。なかには、看護師の後を追うだけで疲労困ぱいし、休憩時間に思わず寝落ちしてしまう医学生もいます。

患者を第一に考える看護師の言動は、まさに医療者として必要なプロフェッショナリズムを体現したもの。その言動に触れた医学生たちは、次第に「患者はあくまでも一人の人間である」「医学や看護は医療者主導でなく、患者の心情を慮りながら提供するべき」といった大切なことに気付いていきます。また、看護師の「こんな医師になってほしい」という、言外を含めたメッセージも、医学生に想像以上の影響を与えています。実際、2日間の「看護実習」を経て、目の色が変わったように見える医学生も少なくありません。それを踏まえて考えると、次世代の医療者にとっての手本となり、そのプロフェッショナリズムを伝道することも、先達であるみなさんの役目といえるでしょう。

医療者がたどった苦心と愛の足跡を振り返る

自身が入院したときの経験を振り返り、「家族のように心配してくれる看護師さんの言葉に勇気づけられました」と笑顔で語ってくれた澤井先生
自身が入院したときの経験を振り返り、「家族のように心配してくれる看護師さんの言葉に勇気づけられました」と笑顔で語ってくれた澤井先生

これを話すと驚かれることが多いのですが、私はもともと文学部の出身。科学哲学科学史という講座で「生物はどのようにして生まれてくるのか」を追究する発生学の歴史を研究していました。そして、この発生学がかつては解剖学や医学と強く関連する分野だったことから、より学びを深めようと医学部の博士課程に入り、現代の解剖学を学ぶようになりました。今は、わが国の医科大学の中で唯一「医史学研究室」を擁する順天堂大学で、過去の解剖学書を読み解く研究などに従事しています。

「病める人を癒やすために身体を正しく理解したい」という思いは、人類がずっと抱き続けてきたもので、医学部では何カ月もかけて解剖実習を経験します。しかし、それでもすべてを見尽くすことができないほど人体の構造は複雑かつ精妙です。そして、太古の昔から現在まで、人間にとって最も身近な「物体」でありながら、時代や地域によって解剖学書に記されている内容はさまざま。その多様性には、とてもひかれます。

過去を振り返ることは、研究者だけではなく、看護師のみなさんにとっても価値があります。現在と過去を比較することで物事の進歩を実感し、次の一手を考えることができる。あるいは、過去に起こった問題をどう乗り越えたかを学ぶことで、今に生かすことができる。医療者がたどってきた苦心と愛の足跡を知ることで、現在抱えている課題に挑むための「何か」が、きっと得られるはずです。看護というものがどのように紡がれてきたかを知れば、職業に対する誇りにもつながるでしょう。 私は、解剖学の歴史を研究してかなりの年月がたちますが、「ようやく裾野にたどり着き、山の存在が見えてきた」といった感覚でいます。これからも医史学の探求者であり続けるつもりですが、実践者として歴史を前に進めていく看護師のみなさんには、心からの敬意とエールを送りたいと思います。

澤井直先生が看護観を深めたい看護師に贈る“珠玉の書”

最後に、澤井先生が看護師のみなさんにお勧めする、とっておきの書籍2冊を紹介します。人生に迷ったとき、あるいは看護師としての自分を見つめ直したいとき、ぜひ手に取ってみてください。

珠玉の書①

『ナイチンゲール 神話と真実』
ヒュー・スモール(著)、田中京子(訳)/みすず書房

クリミア戦争後、10年もの間、病床に伏していたナイチンゲール。「クリミアの天使」としてのイメージが強い彼女が抱えていた苦悩と、現場を離れながらも公衆衛生改革に尽力し続けたパワフルな姿を、実際の書簡をもとに探っていきます。

 
珠玉の書②

『エピクテトス 人生談義』
國方栄二(訳)/岩波文庫


ローマ帝国に生きた、奴隷出身の哲人エピクテトスの力強い言葉の数々を収録。精神の自由を求め、何事にも動じない強い生き方を貫く姿から、私たちが学べることも多いはず。気持ちがなえているときに読めば、勇気が湧いてくることでしょう。

著者プロフィール