• 2021年7月29日
  • 2021年11月2日

【識者の眼】「スポーツと免疫・感染症」早川 智

 

感染防御の観点から多くの医師・医学者が、この時期の開催に懐疑的だった東京オリンピックがたけなわです。疫学的に、運動を習慣的に行っている人は、同年齢の対照に比較して、悪性腫瘍の発生頻度や上気道感染の罹患率が低く、平均寿命も長いと言われていますが、極限まで身体を鍛え抜いている五輪アスリートなどの場合はどうなのでしょうか?

今回の【識者の眼】では早川智氏(日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授)が「スポーツと免疫・感染症」と題して寄稿しています。ぜひ、お読みください。

東京オリンピックもたけなわである。感染防御の観点から多くの医師・医学者はこの時期の開催には懐疑的だったが、ニュースで日本選手の活躍を聞くと心が躍る。古代ギリシアの哲人プラトンは、『魂の健全性』を保つのはバランスのとれた食事と十分な睡眠に加えて適切な運動としている。現代でも疫学的に、運動を習慣的に行っている人は、同年齢の対照に比較して、悪性腫瘍の発生頻度や上気道感染の罹患率が低く、平均寿命も長いという。実際、近年の臨床的研究から、運動が免疫系さらに高次神経機能を含む全身に及ぼす影響が明らかになってきた。一般に、高齢者や慢性疾患を持つ人では、定期的に中程度の運動を行うことは感染防御に有益であるという。

しかし、軽度-中等度の運動が活性を高める一方、過剰な運動負荷は抑制的に作用する。世間では、筋骨隆々たる、あるいはカモシカのようにしなやかなスポーツ選手は体力が有り余っていて、感染症など縁がないと思われている。しかし、これは大いなる誤解である。先に述べたように、適切な運動が感染に対する抵抗力を高めることは間違いがない。しかし、何事も過ぎたるは及ばざるがごとし。重要なのは運動負荷の量であり、健常者であっても、加重な運動負荷は一過性の感染脆弱性を引き起こす。

さらに肉体の限界までの競技やトレーニングを行うトップ・アスリートは特に上気道感染や消化器感染に対して非常に脆弱である。その機序として、酸化ストレスや筋組織の損傷による一過性のNK活性低下や、長時間の交感神経興奮によるカテコールアミンや炎症性サイトカインの過剰分泌、腸管の虚血などが想定されている。現在ではトップ・アスリートで喫煙者はまずいないが、スポーツ大会時の精神的緊張と不安、睡眠障害、国内外への旅行と時差、食事と栄養、気温・湿度など自然環境の変化などに加えて、過激な運動自体が免疫を抑制し、感染リスクを増加させる。一流のアスリートほど普段のトレーニング量を把握し、大会に向けて最良のコンディション作りを行う。そして、全てを出し切った大会後に最も感染脆弱性が高まる。つまり、無観客試合は観客間のクラスター発生を防ぐと同時に肉体の極限まで修行を重ねた選手たちを守るという意味もあるのである。全てのアスリートがこの大会を通じて健康に全力を出しきることを祈りたい。

早川 智(日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授)[オリンピック]


出典:Web医事新報